こんにちは、陸上アカデミアの内川です。
今日はコーチの声掛けについてのお話です。
よく見られるやる気を削ぐ声掛け
先日レッスン前に準備をしていた段階で近くで行われていたマンツーマンのサッカーの練習において、[lnvoicel icon=”https://rikujou-ac.com/wp-content/uploads/2022/05/1555314-e1652705268260.webp” name=”コーチ”]もっとしっかりしろよ!そんなんだから1対1勝てねーんだよ!
果たしてこうしたネガティブな掛け声に意味はあるのでしょうか?
内川は年中~小6までサッカーをやっていたので、当時はそうしたネガティブな声掛けをされたこともかなりあります。
例えば[lnvoicel icon=”https://rikujou-ac.com/wp-content/uploads/2022/05/1555314-e1652705268260.webp” name=”コーチ”]どこ狙って蹴ってんだよ!
[lnvoicel icon=”https://rikujou-ac.com/wp-content/uploads/2022/05/1555314-e1652705268260.webp” name=”コーチ”]なんでいないんだよ! [lnvoicel icon=”https://rikujou-ac.com/wp-content/uploads/2022/05/1555314-e1652705268260.webp” name=”コーチ”]そんなんだから勝てないんだよ! といった内容ですね。また、大学でも関東大会のアップ中に怪我をしてリレーに出れなくなった場合も、その旨を伝えに行ったら[lnvoicel icon=”https://rikujou-ac.com/wp-content/uploads/2022/05/1555314-e1652705268260.webp” name=”コーチ”]お前、いいかげんにしろよ
ということも言われました。何に対していい加減にしろよなのか全く理解できませんでしたが、一体なぜコーチ達はこうした声かけを行うのでしょうか?それによってなにか良いことがあるのでしょうか?
結論からお話すると、こうしたコーチの発言に指導上のメリットはありません。
というかむしろデメリットしかありません。
どういうことかというと、そもそもコーチとは「教える人」という意味ではないですからです。
僕は陸アカで新しいコーチの面接をする際に毎回この質問をしています。
[lnvoicel icon=”https://rikujou-ac.com/wp-content/uploads/2020/10/IMG_20201022_094603-scaled.jpg” name=”内川”]コーチとティーチャーの違いはなーんだ?
ぜひあなたも一緒に考えていただきたいなと思います。
陸アカのコーチに立候補するには陸上競技の短距離・跳躍種目で全国大会出場以上の実績が求められます。
つまりこの質問に答える人は全員自身は陸上競技で高い実績を残しています。
そんな彼ら、彼女らの回答は以下のような者が多いです。
様々な回答ができますが、ここで追加のヒントを出します。
[lnvoicel icon=”https://rikujou-ac.com/wp-content/uploads/2020/10/IMG_20201022_094603-scaled.jpg” name=”内川”]なるほど、そうしたら教える人としてはコーチとティーチャーがいるよね?それはどう違うだろう?
このヒントを出すと全員なんとなく違いがあるのはわかるのですが、言語化できないという状況に落ち着きます。
まあこれは今から自分がなろうとしているコーチの正体について考えてもらうことに意味があるので、「この言語化できない状態」も目的は達成できています。
一応僕がコーチというものの正体について調べる前に自分で定義したものをお伝えします。
コーチとは、目的地に連れていける人
です。
つまり、「相手がたどり着きたい位置と現在地を明確に認識し、そのギャップを埋めるために必要な要素を見出し、その要素を順番に解決していける存在」です。
一方ティーチャー(教師)について。
教師が使うものに教科書があります。
教科書を使うという前提条件からして、教師は教えるものが決まっていることになります。
一方コーチはその相手によって目標、現在地、ギャップが異なるので、教えなければならない内容が異なります。
つまりコーチに教科書はないということです(コーチが知っておくべき教科書はあります)。
コーチの役割が
としたときに、教師の役割は「3.要素の解決」のみです。
逆に教師が学習指導要領を無視して、好き勝手にカリキュラムを変えたら困りますよね?
なのでどちらが上ということではなく、ただ求められる役割が異なるということです。
ちなみにこの記事を書く上で一応「コーチとは」と調べたら以下の定義が載っていました
人を目的地、つまりは「人をゴールまで連れて行ってくれる人」がコーチである。とすれば、コーチングとは人をゴールまで連れて行くことだ。
https://www.goalous.com/blog/ja/about-coach/
コーチは、知識や技術を教える人ではない。クライアント(コーチされる人)がゴール達成に対してマインド以外のすべての条件が整っているという前提に立って、クライアント自身でゴールに進むようにマインドへ積極的に訴えかけるアプローチをするのがコーチである。
https://www.goalous.com/blog/ja/about-coach/
僕なりに考えて実践していた定義はほぼ正解だったようです。
ここまででコーチの正体について見てきましたが、今回の本筋はそこではありません。
やる気を削ぐような声掛けは一体何を生むのかです。
冒頭でもお話しましたが、こうした声かけは何も生みません。
理由は[lnvoicel icon=”https://rikujou-ac.com/wp-content/uploads/2022/05/1555314-e1652705268260.webp” name=”コーチ”]どこ狙って蹴ってんだよ!
こうした声かけで一部やる気が上る人はいるかもしれません。
ただこれも健全なモチベーションではなく、[lnvoicer icon=”https://rikujou-ac.com/wp-content/uploads/2022/06/anger.webp” name=”選手”]うるせーな、そんなこと言われなくてもわかってるよ、ぜってー見返してやる!!
僕はこのモチベーションの上げ方は健全ではないと思っています。
理由として、この状態を一言で表すと「他人からバカにされないとやる気が上がらない状態」ということです。
つまり自分の強く、上手くなるためのモチベーションの出どころを他人に委ねてしまっています。
爆発的にヒットした漫画鬼滅の刃でも冨岡義勇が
と言っていましたが、まさにこれと同じです。
スポーツ選手にとって上手くなるとは、兵士が強くなることと同義です。
兵士では訓練をして強くなり敵をたくさん倒した者が称賛されます。
そして敵にやられないようにするために、自らを強化します。
そのモチベーションを自分以外の誰かに委ねてはいけないということは、スポーツにおいて上達のためのモチベーションを誰かに委ねてはいけないということです。
そんなモチベーションでいる選手と、常に自分の定めた目標を達成するためにひたすら思考と練習を繰り返す選手がいるならば、どちらが結果が出るかは火を見るより明らかです。
なので僕は生徒をけなすような声掛けはしませんし、逆に過度に褒めることもしません。
唯一行うのは「目標の確認」と「定めた目標が達成できたかの確認」です。
いずれも確認となっているのは、「主役は子供だから」です。
こちらから一方通行で指示や説明を行うことはしません。
あくまで子供自身が答えを自分の口で言えるように導いてあげること。
ただ自分が思っている答えを口にさせるためには、事前に子供が進む思考のルートを決定しておかなければなりませんし、脱線したときのために早いうちに脱線ポイントを見抜くテクニックも必要です。
なので陸上アカデミアでのコーチングスタイルはさながらプラレールのルートづくりのようなものです。
子供は僕らが引いたレールの上で思考を進めるので、そこから脱線したらコーチの力量不足、無事走りきれたら子供の達成感につながるということです。
そして走りきれたのであれば「自分で目標と課題設定を行い、それが無事達成できたことだけ」をありのまま称えてあげれば、それが子供に対して正のフィードバックとなり、次のサイクルにより気持ちよく入ることができます。
この「より気持ちよく次のサイクルに突入させてあげること」こそがコーチの真の役割です。
そこに貶したり怒鳴ったりといった要素はいりません。
僕はコーチの理想のスタイルとは「ブラインドランナーの伴走者」だと思っています。
陸上競技場等で練習をしていると「視覚障害者」「伴走」という同じ色のビブスをつけた2人組を見かけることがあります。
これは目の見えない視覚障害を持ったランナーをサポートするために伴走者が一緒に走っているという構図です。
視覚障害の方は当然前が見えません、いつカーブが始まるのか、終わるのか、前に誰か走っているのか、後ろから誰か来るのか、誰かが横切ろうとしていないのか、今どれくらい走ったのかなど全てが見えません。
でも安心して走れるのは、伴走者が同じスピードで走り、自分が見えない部分を全て見通して完璧にサポートしてくれると信じているからです。
これが生徒とコーチの関係の完成形ではないでしょうか?
伴走者は実際に物理的にゴールまで連れて行きますが、コーチは時空的に連れて行きます。
コーチにはゴールと現在地と間にある障害や必要な能力が見通せています。
それを生徒にも視認可能な形にして伝え、その障害を超えるために必要な能力を手に入れさせるわけです。
ここまで読んでみて[lnvoicel icon=”https://rikujou-ac.com/wp-content/uploads/2022/05/1555314-e1652705268260.webp” name=”コーチ”]どこ狙って蹴ってんだよ!
というような貶したり怒鳴ったりするコーチングは全く意味がないどころかマイナスでしかないということにご納得いただけたかと思います。するとこんな疑問が出てくるのではないでしょうか?
[lnvoicer icon=”https://rikujou-ac.com/wp-content/uploads/2018/12/1239873.png” name=”保護者”]じゃあなんでそんなコーチばっかりなの?
それに対する内川の回答は[lnvoicel icon=”https://rikujou-ac.com/wp-content/uploads/2020/10/IMG_20201022_094603-scaled.jpg” name=”内川”]それは技術を教えることとコーチングは別の能力だから です。「必ずしも良い選手が良い指導者ではない」ということはあなたも理解していただけていると思います。
どんなスポーツでも芸術でも、自分ができることとそれを他人に伝えることは別の能力ですよね?
大体の方がそこまでは理解しています。
ですが「教えられる能力」と「コーチングスキル」が別ということは意外と抜けている場合も多いです。
「教えられる能力」はその競技や分野に精通した固有能力です。
一方「コーチングスキル」は万物に共通した能力です。
この2つの能力がごっちゃになってるケースが多いです。
心理学的にハロー効果というのですが、1つに秀でていると人間的にも優れていると人は誤認します。
具体例をあげると、「サッカーを教えられる能力」は持っているけれど、「コーチングスキル」が伴わないと、少し前にネットを騒がせていた部活での暴力事件が起きたりします。
高校や大学の強豪校でああいう事件が起きるのは、その競技力を高めることはできるけれどコーチングスキルがない指導者が指導をしているからです。
確かにその人の元で練習をすれ競技力は向上するでしょうが、それ以外の大切なものは育まれないかもしれません。
ではそもそもなぜこういった指導者が出てきてしまうのでしょうか?
結論は指導者が自分の感情のコントロールができないからです。
生徒や子供の出来を自分ごととして捉えているので、結果が出ないと生徒に当たり散らすわけですね。
おそらく自分が選手時代にそのように指導を受けてきて、嫌だったにも関わらず自分が逆の立場になったときに同じことをしているのだと思います。
精神的に未熟としか言えません。
僕は自分がそうした指導を受けてきて心底嫌だったので子供には同じ指導をしないように心がけていますし、他のコーチにもそのように伝えています。
なのでもし子供がそういった指導を受けているのであれば、目標に向かって詰める力は全く育まれないので、別のスクールや指導者を探してみても良いかもしれません。
真のコーチとは相手を目的地まで連れていける人のこと。
伴走者のように子供を導いてくれる指導者を探せ!
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